石見銀山で浴衣町歩き
川本町から車で30分くらい走ると世界遺産の石見銀山へいくことができます。
16世紀半ばから17世紀前半には世界の産銀量の3分の1が日本からのもので、その銀のほとんどが石見銀山で産出されたものだったそうです。
戦国時代に最盛期を迎えたところで、いまでも情緒ある町並みが残されています。
素敵な町並みと銀山。
今回は、そんな石見銀山のある大田市の地域おこし協力隊さんからお誘いをいただいて
町並みを浴衣であるいてみました♪
これは、9月から大田市の観光協会さんがはじめるもので、完全予約制のとりくみです。
女性は着付けとへアセット込みで5000円
男性は着付けで3000円
地域の方にご協力いただいてはじめられるそうです。
今回はそのPRとして
大田市、美郷町の地域おこし協力隊さんとともに体験させていただきました!
へアセット
この日は、元美容師さんで観光協会にお勤めの方がやってくださいました!
大田市や美郷町の地域おこし協力隊さん
素敵な方ばかり
夏は浴衣、冬は着物
数種類から選べます。
浴衣、数年ぶりに着ました。
帯をしめられ、身も心も引き締まる。
ちょうど、天領さんというお祭りのときで賑わっていました(28日日曜日)。お祭りのためか、浴衣を着て歩くと得点のあるお店も!
(浴衣着ていると50円引き♪美味しいコーヒー)
浴衣着て歩く石見銀山の町並みは
普段とすこし違う感じがして、とても楽しかったです。
素敵な体験をさせていただき、ありがとうございました(^^)
石見銀山に観光にこられた際は、ぜひ着物を着て町歩きを♪
【着物でぶらり in 石見銀山の詳細】
やさしさえがおラボ
少し期間があいてしまいました
というのも、夏の間限定で「地域と子どもをつなぐ場づくり」をさせていただいていました
その名も「やさしさえがおラボ」
名前は、子どもたちが考えたてくれました
「さみしくない」とか「さんこうせん」とか「笑顔」
ほっこりします
看板つくったり
窓ガラスに絵を描いたり
そして、先週
北海道や東京、埼玉、そして島根の大学生さんが遊びに来てくれました♪
北海道の大学生さんとは北海道のこと教えてもらったり、川本のお話を子どもがしてみたり
島根の大学生さんとは、子どもたちがカメラマンになって町の写真を撮り、マップづくり
川本町にはじめてきた学生さんに
「ここのご飯美味しいよ」「ここ通り道だよ」と案内してくれました
東京と埼玉の大学生さんとは、商店の中の壁に絵を描く活動をしました
いろいろな方と一緒にできるのって幸せだなと思います。至らない点ばかりでしたが、みなさんに感謝です。
そして、大学生のみんなが夜遅くまで一緒に話し合ってくれたことも感謝。
何かをするときはチームで、話し合って、何度も問い直す姿勢って大事ですね。
ありがとう!
あと数日でこの企画も終わります
子どもたちからはたくさん笑顔と元気をもらいました♪
明日天気になーれ
決め手は、ひとの優しさ
前回、川本町を知ったきっかけについて書きましたが
今回は移住を決めた決め手について。
私はいま、「提案型の地域おこし協力隊」として着任しています。
今まで学んできた子どもへの学び・教育をキーワードにチャレンジしたいというアイデアを提案しています。そのチャレンジを応援してくれる町というのも決め手ではありました。
でも、もっと大きな決め手は
やっぱり「ひと」です。
移住前も移住してからも思うのですが
とにかく優しくあたたかい人が多いです。
優しいといっても、ぬるま湯のような優しさではありません。
厳しさも兼ね備えた、本当の優しさをもっている方が多いように思います。
私が移住を考えているときから、移住することが簡単なことではないこと、生活が変わることの大変さを伝えてくださいました。
また、実際の生活イメージのために町の中にある病院について、医療制度について、スーパーについて、物価について、車がないと不便だということについて
カメムシという虫が臭いとか、サルとかたぬきが出るとか、冬はめちゃくちゃ寒いとか・・・移住前にたくさんたくさん教えていただきました。
「この町良いところだよ~、試しにおいで」というような軽いノリではなく
本当に移り住む人のことを考えてくださる姿が印象的でした。
また、私は足を痛めているので、床に座るのが難しかったら
木の箱で椅子をつくってくださったり
「和式トイレは大丈夫か?」と聞いてくださったり。
その優しさは移住する人にだけではなく
働いている同僚に向けられたり
地域の子どもたちに向けられたり
ご近所さん同士だったり。
たぶん、長年川本に住んでおられる方にとっては当たり前なのかもしれないけど
そういう人がホッとできるような優しさが日常にあるというところは
暮らしていくためにとても大切だなと感じました。
だから、これからも自分のやりたいことにチャレンジしていくことや、
自分の芯も志しているものも忘れずに大事にしていくけれど
そこに住む人たちを好きだなぁと思えて
微力だけど何か手伝いたい、一緒に仕事をしてみたいと思えたことが
私が川本町に移住を決めた大きな決め手だったと思っています。
子どもの夢を応援する町
すこし、私が川本町を「知った」きっかけを書いてみようと思います。
自分の記録用としても。
私は今年の3月まで社会人兼学生という生活をしていました。
仕事は事務系の補助員。
学生として学んでいたことは教育学。
その中でも、ひとりひとりのニーズに応じた教育について考える特別支援教育のことを勉強していました。
実際にボランティアでかかわっていた子どももいます。病気や障害があったり、学校へ行けなかったり、生活状況に困難を抱えた子どもたちでした。
いろいろなことがありましたが、どんな状況にあっても、どんなところにいても、子どもたちには自らの力で困難な状況から抜け出せること、変化を生み出せること、可能性を感じられること、夢を実現できることを信じられる心を育みたいと思っていました。
また、日々変化している今の世の中で
目の前の子どもたちが大人になったとき、私たちが今見ている世界とは、おそらくまったく違う世界になっていると思います。
AI技術だとか、何とか技術だとか。
中央がなくなるとか、今はない新しい仕事がたくさんあるとか。
そんな社会・世界で生きていく子どもたちに
いま、自分ができることって何なんだろうか・・・
子どもには、幸せになってほしいなと。
守られる、助けられるだけではなく、自分の力で解決していける、生きていけるようになってほしい。
(もちろん、守り合える・助け合えることは大事です)
そのために、大切なのが教育だとも思っていました。
自分自身の経験や子ども・親御さんとかかわりながら
生まれてきた考えです。
そんな気持ちを少しアクションプランにしてみる場に参加してみました。
そこで出会った方から
「子どもの夢を応援する町があるよ」
と、島根県川本町のことを教えてもらいます。
初めて聞く地名でした。
その町は「学び」を軸に地域を元気にしようとしている。
子どもや教育、町への思いがとても熱い方々がいる・・・と。
まったく移住するなんて、考えていなかった約一年前の出来事です。
このことがきっかけで、私は川本町に移住することを考え始めます。
この「知った」きっかけから、実際に移住へつながっていった背景については、また違う機会に書いてみようと思います。
劇団ハタチ族×三江線
川本町には、石見川本という駅があります。
そこを走っている三江線の汽車。
このブログでも、ときどき三江線の素敵なところを載せられればと思います。
川本町の自然
日記はじめます
島根県川本町へ移住してきて、まるまる3ヶ月が過ぎました。
まだ3ヶ月しか過ごしてないのに、町の子どもたちと過ごさせていただきながら
楽しく濃い毎日です。
そんなこんなで
「ブログやってみない?」と言ってくださった方がいまして
川本町や島根で出会った素敵なこと・
あとは、島根に移住するまえから
富山県南砺市の地域おこし協力隊の方のブログを読んでいました。
綴られた日記から、日々の暮らし、その土地の自然、
島根へ「移住すること」を決めるときも、
そんな風に、この日記も知ることや考えることの
小さな材料になれたら嬉しいです。